便利さと気味の悪さの境目--情報管理雑感
最近、情報管理に関する話題に事欠かない。
国レベルの情報管理から企業など組織レベル、さらに個人の情報管理まで、知らないうちに情報が漏れていた、情報が不正に使われていたというニュースが多く流れている。
学生たちを連れてある情報系企業を訪問したとき、その担当者の方が「これからは秘密を持てなくなりますよ。みなさんの行動はすべてネットに記録されています。これからの時代はパブリックが基本で、企業も個人も公明正大に行動することが求められます。」という意味のことを言われていた。
確かに、企業の不正はすぐに暴かれ、不誠実な対応をする企業は顧客からの支持を失う時代だ。
また今の時代、個々人は歩く広告塔ならずとも、歩く情報発信源となっている。スマートフォンやSuicaなど交通系カードを使っていると個人の行動は容易に追跡される。どこで何を購入したかも記録される。
これら情報管理が飛躍的に進化したおかげで、私たちの生活は格段に便利になった。
ところが、便利になった反面、自分の行動が監視されているようで薄気味悪くなることもある。何事も度が過ぎるとマイナス面が頭をもたげてくる。他人に知られたくない部分は誰しもが持っているものだ。
個々人の情報発信を考えると、ここまではオープンにしてもいいが、これから先はちょっとという”境目”があることに気づく。この境目は、人によって差があるようである。
企業から何らかのサービスを受ける際に、個人の情報提供は必要になる。自分の年齢・職業・趣味嗜好などを提供することによってきめ細かなサービスを受けることが可能になる。サービスを受けた際に「自分のことをよく分かってくれているな」と思う場面と「なんで、ここまで知っているんだ」と不快に思うときがある。
これはどのように解決すればいいのか?
一つの解は、オプトインという提供情報を自分で選択する権利だろう。オプトインという用語は、広告メールの受け取りを承認する意味で使われていることが多いが、もともとは「選択」という意味で、個人が企業に対して使用する情報を個別に許諾する権利だ。
しかし、意識して主張している人は少なく、その結果がどうなるかもよく分からないというのが現状だろう。
このような考えが社会に定着するのが先か、それとも、情報社会がさらに一歩進みあらたな課題が登場するのが先か?はっきりしていることは、人間の頭の中の変化は情報技術の変化に比べて格段に遅いという点である。
まあ、このような悩みとこれからもつきあっていくしかないようである。